シーン8「硝子の街を散歩して」

 さわやかな秋の空の下、私はクルルを抱いて散歩に出かけた。特に行くあては無かった。でも平日はいつも家にいるクルルにとって少しでも気分転換になればと思って最近は毎週のように散歩に出かけている。

 外に出ると、時々吹く風に木の葉が舞ってさらさらという音を響かせている。
 この街は中世の街並みを残していて、小さな路地が入り組んでいる。路地では人とすれ違うことは殆ど無いけれど、休日や長期休暇中ともなると大聖堂前の通りには多くの人が訪れる。クルルはどうも人ごみがあまり好きではないみたいだったし、私もあまり得意ではなかった。だから小さな路地を適当に歩き回っていた。

(硝子の街)

 ふと、この言葉が頭をよぎる。この街はこう呼ばれることもあった。
 この街には古くから硝子工芸を生業とする人が多く、多くの硝子工房や販売店がある。これを目当てで訪れる人も多かった。大抵の人は大聖堂前の通りで買い物をしていくけれど、中にはもちろん穴場的な場所もあって、その一つがノールアインス硝子館だった。
 品揃えはこの街で随一のはずなのに場所が分かりにくいせいか普段からお客さんはあまり入っていないようだった。そういうところはリアさんの『ザルツ・プラット』と似ているような気がする。とりあえず行くあても特に無かったしノールアインス硝子館に向かうことにした。実はこの硝子館は私のお気に入りの場所だった。

 十分近く歩いて狭い路地を抜けると、ひときわ目立つ高い塔が見えてくる。硝子館の隣に立っている塔だった。ちょうど塔のへりからポッポが飛び立ちどこかに飛んでいく。どこまでも澄みきった空の中どこまでも高く。それを見送りながら歩くとほどなく硝子館にたどり着く。木組みで造られるコロンバージュという建築様式で建てられた建物を見ているとそれだけでおとぎの世界に招待された気分になる。


 木組みの入り口から館内に入るとそこはもう別世界だった。
 窓がなく天井が高い空間。その暗闇の世界を硝子の照明が照らし出している。グラス、プレート、砂糖瓶……それぞれが思い思いに光を屈折させている。

(硝子の世界へようこそ)

 それは入り口の看板に書かれていたフレーズだった。私は今、硝子の世界の中にいる。
 ダイヤモンドのような輝きを放つサンドブラストで彫られた美しい硝子たち。ひとたび歩き出すと、また違った輝きを見せてくれる。

「……プラ…」

 そのとき、クルルの変化に気がついた。いつもと目つきが違う、そんな気がしたのだ。
 すると、クルルは私の手をするっと抜け、奥へと走り出した。

「クルル? 待って、クルル」

 奥へと消えるクルル。急いで後を追う。
 急にどうしたのだろう。あんなクルルを見るのは初めてだ。
 奥をクルルが走っている。幾多の硝子に囲まれた回廊を抜けると、円柱形のホールに出た。

「クル……ル…?」

 ホールの棚には数々の硝子細工が置かれ、何段も続いている。それが五メートルくらいの高さあった。
 クルルはその奥で燃えたぎるような真っ赤なファイヤーの像を見上げていた。

「どうしたの、クルル?」

 すると、クルルは顔を上げたまま、三百六十度ぐるっと見回した。
 私もそれに習うと、硝子のパノラマが目に飛び込んできて吸い込まれるようだった。思わずため息が出る。

「おや、お客さんかな」

 後ろにはいつの間にそこにいたのか作業着を着たお兄さんがいた。

「この部屋、一般には公開してないんだ。勝手に入ったら駄目だよ」
「あっ、そうだったんですか。ごめんなさい」
「いや、謝ることないさ。それよりそのポケモン、かなり目が肥えると見える」

 そういうとお兄さんはクルルの方を嬉しげに見つめるのだった。

「そうだな、君たちには特別にアレを見せるか」
「アレ……ですか?」
「そうそう。アレ」

 アレというのが何か気になったが、クルルを抱きお兄さんに連れられて歩くと、工房にたどり着いた。

 作業机の上に置かれていたもの。それは硝子のオブジェだった。
 そこでは二体のプラスルが手をとりじゃれあっている。その奥では女の人が手を広げ、プラスルたちを迎えようとしている。それがすごく優しげで、全てを包み込むようで見ているだけで落ち着く、そんなオブジェだった。クルルはまた、私の手を離れ硝子のオブジェをまじまじと見つめている。そして、硝子の女の人にぴたっとついてしまった。

「このオブジェは師匠が作ったものなんだ」
「そうですか。さすが出来が違いますね」
「ああ。あの人の作るものはどれも繊細で、それでいて情熱に溢れていて見ている者の心を揺さぶるんだ」
「はい……わかります」
「師匠が作る作品の秘密、聞きたいかい?」
「え、いいんですか?」
「ああ、いいとも」

 そしてはじまる一つの物語。

「……えー、ゴホン。ではでは、語らせていただきますかな…………
 師匠は昔々……それはそれは美しい女の人に恋をしたのだった。
 ……しかし、それは許されぬ恋。
 やがて師匠は追われる立場となり、最愛の人を連れて駆け落ちをする。
 それからしばらくの間流れる平穏な時間。
 ある日その美しい女性は赤ちゃんを身ごもるのだった。
 そして赤ちゃんが生まれるその日、残酷な運命が二人を引き裂くことになる……
 やがて最愛の人は連れて行かれ、師匠は追放される身となる。
 それからというもの師匠は狂ったかのように作品を作り続け、
 師匠の作る作品はその情熱を一身に受けることになったのだった……と」

 何だか悲しい話だった。大事な人と引き離される気持ちはどんなものなのだろう。

「えー、そして、師匠は未だに最愛の人を忘れられず今日も硝子に命を吹き込み続けるのだった……涙ぐましい、いい話だろ?」

 命の吹き込まれた硝子。確かにこのプラスルたちは今にも動き出しそうだった。そして、女の人も。
 クルルはさっきからずっと硝子の女の人にくっついている。よほど気に入ったのだろうか。それとも何か特別な思い入れがあるのだろうか。そして、そのとき気がついたのだ。クルルの目にうっすらと涙が浮かんでいるのを。
 私は、思わずクルルを抱きしめ無意識に頭をなでていた。それはいつも私が泣いた時にパパがしてくれることだった。

「おやおや、泣かせてしまったな。お詫びとしては安すぎるかもしれないが、師匠の作った蜻蛉玉(とんぼだま)を一つプレゼントするよ」

 お兄さんはそういうと、美しい艶の蜻蛉玉を差し出すのだった。私はそれを受け取るとクルルに手渡した。するとクルルは興味を持ったのか、ぎゅっとそれを抱きしめた。

−くーっ−

 拍子抜けなその音はクルルのお腹の音だった。クルルはもう泣き止んでいた。もうお昼。私はお兄さんに一礼すると硝子館をあとにした。



 腕時計を見るとちょうど一時を過ぎた頃。
 近くの広場に出店が出ているのを思い出してそこでお昼をとることにする。少し歩くとすぐに広場に着いた。
 ここには休みになるとダンプフヌーデルンを出している出店があった。ここのダンプフヌーデルンはおいしい。その時奥のほうにポッポが集まっているのが見えた。

「おーい、アイー」

 ポッポと一緒にいるのはクラスメイトのシアリィとジルエット。シアリィが元気よく走ってくる。

「あ、クルルも一緒なんだ。元気?」

 シアリィはとても明るい。茶色のセミロングの髪にかわいらしい顔立ち。多分もてるほうだと思う。

「こんにちは。アイ」

 その後ろからジルエットが歩いてきた。黒のロングへアに少し大きめの眼鏡をかけていてすごく成績のいい子だった。

「クルルと一緒に散歩でもしてたの?」
「うん。それでちょっとお腹がすいて。シアリィたちはどうしたの?」
「ああ。クラスの男子がポケモンバトルするって言うから付き合うことになったのよ。アイも一緒にどう」
「うーん」

 ちょっと考えたけど特に予定は無かったし気が向かないわけでもなかった。

「じゃあ、ご一緒する」
「よし、決まりね。それにしてもあいつら遅いなあ。一時に約束してたんだけどな」
「じゃあ、それまで食事してるね」

 急いで出店にダンプフヌーデルンを買いに行く。おじさんに二個分注文すると紙の皿に団子が盛られその上にバニラソースがかけられる。見た感じからしておいしそうだった。
 シアリィたちのもとに戻るとパンをちぎってポッポに分け与えているところだった。その隣で私とクルルはダンプフヌーデルンをいただく。中にはとろりとしたプルーンムースが入っていて、団子のもちもちとした食感がたまらない。そうやって食べているとシアリィが横目で欲しそうにしているのが分かった。

「シアリィ。欲しいんでしょう?」
「え、何で分かったの」
「何となく」

 そういうと私はシアリィとジルエットに一つずつ分けてあげる。シアリィはやったという表情でそれはもうおいしそうに幸せそうな表情を満面に浮かべて食べていた。ジルエットも満足そうにそれでいてしとやかに食べている。それが対照的でなかなか面白い。
 そこにちょうどクラスの男子がやってきた。ユーリとヴェルナーだった。