シーン5「写真の中のママ」

 十月。木々が少しずつ色付きはじめる季節。

 ある休日の朝。
 休日とはいえパパには休みが無い。パパは毎日大学に通っている。
 私はいつもと同じ時間に起きるとぼやけた頭で洗面所に向かう。私の寝起きはかなり悪いほうだった。いつも通りに歯磨きと洗顔を終えると鏡の中の自分と目が合った。普段自分ではそれほど意識することの無い赤い瞳。この間のリアさんのこともあったのだろうか。つい意識してしまう。パパは綺麗なブラウン、ママは明るめの赤、そして私は少し深い赤い瞳。多分、私のこの瞳の色はママから受け継いだものだろう。でも写真のママとは少しだけ色が違った。

 リビングに行くとクルルが朝の日差しを浴びながら窓際で外を眺めていた。

「クルル。おはよう」

 クルルは気付いているのか、いないのかじっと外を見つめ続けている。そんなクルルに微笑みかけると私はママの写真におはようと目で挨拶した。
 橋の真ん中でパパが撮った写真。このときママは二十二歳だったそうだ。写真のママはセミロングの茶色い髪が肩の辺りでくるくるっとカールしていて凄くかわいいと思う。そして一度見たら二度と忘れられないくらいに印象的な優しげな赤い瞳。改めてよく見るとやはり私のそれとは少し色が違った。それは少し残念だったけど私もママくらいの年になったらこんな風にかわいくなれるのかもしれないと思うと少し嬉しかった。私はあまり自分の外見には自信を持っていなかった。写真のママは凄く優しそうで可愛らしかった。

 窓際のクルルがお腹に手を当てている。最近になってやっと気づいたのだがこれはクルルのお腹がすいたというサインらしい。多分本人は無意識のうちにやっているのだろう。
 朝食の準備をしなければならない。とはいえ、それは簡単なものだった。
 私はキッチンに向かうと白い皿を四枚とりだし、まずきゅうりを切っていく。冷蔵庫からレタスをとりだし、それをちぎって皿に敷き詰めその上にさっき切ったきゅうりを載せ、更に生ハムを添える。これを三皿分。残りの一枚にはストックしてあるライ麦パンをスライスして盛りつける。最後に自分とパパのコップとクルル用の器に牛乳を注ぎこんで終わり。五分も経たなかった。
 それを食卓に並べると窓際のクルルを抱き上げクルル専用の高めの椅子に座らせる。
 パパを呼びに行こうとするとちょうどいいタイミングでパパが入ってきた。

「おはよう」
「あ、ちょうど今、呼びに行こうと思ったんだよ」
「そうかそうか」

 パパは笑顔だったけど目の周りにははっきりとくまができている。いつものこととはいえやはり心配だった。

「大丈夫? パパ」
「ああ、平気だよ」

 ママの写真に優しく微笑みかけるとパパはゆっくりと椅子に腰掛けた。私も向かいの椅子に腰掛ける。するとパパはニコニコとこちらを見て笑っていた。

「思い出すなあ」
「え、何を?」
「ママのこと」

 そういうとパパは頬杖を付いてママの写真を懐かしそうに見つめるのだった。

「ママも朝食前によく大丈夫って聞いてくれてたんだ」
「へぇー」
「もう十四年以上前か……」

 ママは私が生まれたその日に死んでしまった。それからはパパが男手一つで育ててくれている。最近は私もだいぶ家事をできるようになったけど少し前まではそれもパパの仕事だった。だからパパって本当にすごいなと思う。

「あの頃は私も若かったなあ」
「ふふ」
「あ、笑ったな。アイ」
「だって、可笑しくって……でも、写真のママってすごくかわいいよね」
「確かにかわいかったなあ。多分すごくモテてたと思うよ」
「へぇ」
「だからママが告白してくれた時はびっくりしたんだ」
「あ、聞きたいな。その話」
「お、少し長くなるぞ」

 パパはどこか懐かしそうな目をしてコップを口に運んだ。そして、大きく息をしたかと思うと少し宙の方を見上げる。
 そうしてパパの昔語りが始まるのだった。

「あれは……私が大学三年生の時かな。大学時代、天文同好会に入ってたっていうのは前にも話しただろう?」
「うん」
「ちょうど私が副会長をやっている時かな。春になって新入生を勧誘してたんだけど、そのときママが入ってきたんだ。それまでは男ばかりのサークルでね、それはもう皆、喜んだもんだよ」
「へぇ。その時からパパも意識してたの?」
「いや、かわいいとは思ったけど好きとかそんなのとは違ったかな。だけど自然と話はよく合ったし星の話もよくしたし好印象だったよ」
「星の話かあ。パパ、好きそうだもんね」
「うーん。確かにうちのサークルは天文同好会だけど実のところあんまり詳しい人がいなくてね。実は私も星の名前とかあんまりよく知らないんだ」
「あれ、パパってすごく詳しいと思ってたんだけどな」
「はは……私はどちらかというと数式とかをいじるほうが専門だったからなあ。だけどママは違ったな。星の名前とか星座とかすごく詳しかったし、人工衛星が今どこを飛んでいるかまで知っててうちのサークルの中でもその知識は群を抜いてたよ」
「ママって凄かったんだ」
「うん。どうしてそんなに詳しいのか聞いたらテレビでやってる宇宙の番組を見て好きになったんだってさ。それから自分で本とか読んで色々調べたそうだよ。私もママからいろんなこと教えてもらったなあ。それで話す機会もどんどん多くなってあれは……九月ごろだったかな。気付いたらママのこと好きになってたんだ。だからすごく困ったんだ」
「え、どうして?」
「その頃ママは誰かを好きだって噂があったんだ。だから迷惑じゃないかって思ったんだ。それで必死に隠そうとしたけどママにはばれてたな」
「ふふ。パパってすぐ顔に出るもんね」
「おいおい……でも確かにアイの言うとおりだな。あとで聞いたら実はサークルの皆気付いてたんだってさ。それでも必死に隠そうとしてたんだけどそんな私にママは普通に話しかけてくれたっけ。本当に優しかったなあ。私と目が合うとよく微笑みかけてくれたっけ」

 パパは懐かしそうに語ってくれた。そのパパは本当に幸せそうで、きっと今でもママのことを想っているのだろう。天国のママもきっと幸せだと思う。

「それで、十二月だったかな。サークルのみんなでパーティーをしたんだ。あの日は雪が降ってたっけ。その帰り道、パパとママは同じ道で、それで二人きりになったんだけどシルフィー大聖堂の前に硝子でできた鳥の像があるだろう?」
「うん」
「そこでママがふと歩くのをやめたんだ。どうしたのかなと思って私も立ち止まったんだけど……その時、告白されたんだ」

 私は自分の顔が赤くなっているのを感じた。やっぱりこういう話は恥ずかしい。でも、きっとママもパパも幸せだったんだろうなと思うと嬉しかった。

−パタ−

 その音で思いが途切れてしまう。横を向くとクルルがすっかり食事を終えていて、またいつものように窓の方に向かうところだった。私はというとまだ殆ど口をつけていない。一方パパはというと器用なことに話しながらもすっかりたいらげてしまっていたのだった。

「じゃあ、そろそろ行ってくるよ」
「うん、気をつけてね」
「ああ、ありがとう」

 パパはママの写真を名残惜しそうに見ていたが私に笑顔を見せると出かけてしまった。パパの顔も少し紅潮していてそれが少し可笑しかった。
 写真のママはいつも笑っている。私はママの顔を写真でしか見たことが無い。ママが生きていてくれたらなとも思ったけれど私は今のままでも十分幸せだった。それで気が付いた。クルルはどこで生まれたのだろう。
 私がクルルと出会ったのは三年目の雪の降る日のこと。あの日のことを思い出していた。